アンティークとしての価値

その昔は、様々な場所において、ただひたすら正確に時を刻むという時計本来の用途が、ロングケース・クロック(日本ではホール・クロックと呼ぶようですが)の最も重要な役目でした。でも、デジタル化の進んだ現代では、時計としての機能より、装飾品としての美しさとアンティークとしての価値のみが注目される存在となっているようです。そうした理由からでしょうが、日本にもアメリカにもこの種の大型置時計を専門に取り扱う時計店が存在しているのは興味深いことです。ドイツのヘルムレやアメリカのハワード・ミラーなどの現在もこの手のグランドファーザー・クロックを生産している会社の製品は、決して安価とは言えませんが、買おうと思えば今すぐにでも簡単に手に入るものです。ここで本当に気になるのは、『大きな古時計』の歌詞にあるような本物のおじいさんの時計の真のアンティークとしての価値でしょう。知る人ぞ知る1700年代から1800年代にかけてのヨーロッパのクロックメーカーの手による品などは、本当に途方もないお値段が付くようです。あの蔵に眠っていた古時計ももしや、などど取らぬ狸の皮算用に励むのもバカバカしい話ですが、『おじいさんの時計』ってなかなかいいものだと思いませんか?

素敵なおじいさんの時計に+1 !


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