おじいさんの時計
私が小学校低学年だった頃に取り壊されてしまうまでは、父方の祖父の家には敷地内に古い白壁の蔵がありました。中は夏でもひんやりしていて、奥には古ぼけた甲冑なども無造作に置かれている時代を超えた空間で、年上のいとこ達や私には恰好の遊び場でした。その蔵の片隅にその巨大な(子供の私の印象ですが)時計は置かれていました。父いわく、その昔父が小さかった頃には母屋の玄関広間に置かれていたのだそうですが、父の記憶が正しければ、祖父の仕事の関係で幼い父も含めて家族が3年間サハリンに行っている間に蔵に移されてしまっていたのだそうです。本体は濃い茶色の木材による重厚な作りで、どこかが壊れているようには見えませんでしたが、ガラスの扉の奥の金色の大きな振り子はピクリともしませんでした。扉には私の小指がすっぽり入る大きな鍵穴がありましたが、鍵がかかっていて振り子に触れることはできませんでした。表のガラスの隅に金色の漢数字で日付が入っていたのを何となく覚えています。学校で『大きな古時計』を習った時は、もちろん直ぐこの時計を思い浮かべていました。後に伯母から聞いた話では、蔵を取り壊す前に、地元の博物館に中の物をほとんど全て寄付したのだそうです。あの時計が、その後どうなったのか知る由もありませんが、今でもやはり『大きな古時計』を聞く度、蔵にひっそりと眠っていたおじいさん(多分、ひいおじいさん)の時計を思い出します。
蔵に眠る古時計の思い出に+1 !
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